サンフランシスコ出張:運命をわける乗り換え38分
(※登場人物はすべて仮名です.)



出張は終わったと思っていた.

サンフランシスコで学会の全日程を終え,ディナーの蟹をほおばりながら,
やれやれ今回の出張もずいぶんと食べ過ぎてしまった,などと考えていた.

crab
写真:中華の蟹.うまい.

prawn
写真:中華のエビ.味付けが最高.

steak
写真:別の日のステーキ.暗くてよく見えないかもしれないけど厚さは
日本で食べるステーキの3倍.

* * * * *

town
写真:夜のサンフランシスコ.

今回のサンフランシスコ出張からの帰国は,不況による便数の減少と
クリスマスシーズンに重なったのとで,日本への直行便がとれず,
シアトルで乗り換えることになっていた.

チケット予約の際には二つ選択肢があって,1つは朝の6時という
変な時間にサンフランシスコを出発し,シアトルを経由して成田に着くもの
(乗り換え時間は3時間),そしてもうひとつは,出発は朝10時だが
シアトルでの乗り換えの時間が38分しかないものである.
少し迷ったが,後者を予約した.なぜなら朝6時発の便だと,
もし寝坊した場合には手続きや金銭面で大変なことになるだろうが,
後者の乗り換え38分に失敗した場合には全て航空会社の責任なので,
それなりの待遇をうけつつなんとか帰国できるはず,だからである.

とはいえ. 素人には短く感じる38分という乗り換え時間も,実際は
航空会社が設定した乗り換え時間なわけだし,まぁ乗り継ぎに失敗する
可能性は極めて低いだろう,とたかをくくっていた.
もし仮に成田行きの便に間に合わずに翌日便に回されたら,シアトルの
スターバックス一号店にでも行ってやろうと,冗談半分で考えていたのは
チケット予約をした頃である.

あまかった.

サンフランシスコ滞在中に大学時代の先輩からメールが来た.
昔,大学の部活で同じ釜の飯を食ったタイ人が,おおっぴらには書けないような
国家プロジェクトのためにひさびさに来日するのだが,夜は時間をつくれるので
折角だから集まって飲もうというのだ.
これはなんとしても参加せねば.
ところがなんと,その飲み会が帰国当日に設定されている.空港から直行すれば
ぎりぎり間に合うが,これで完全に成田便を逃せなくなった.

* * * * *

話は帰国前日の夜に戻る. 学会最終日を終え,藤木教授,米田先輩,
そして後輩の井鈴の三人とサンフランシスコの街に繰り出した.
もちろん偉大なる藤木教授のおごりである.
おそらくサンフランシスコで一番うまいであろう中華料理屋で,蟹のまるごと揚げ,
白身魚のまるごと蒸しをはじめとする絶品の数々に舌鼓をうちつつ,
研究所のコアな話やバカ話に興じた.ただし,蟹にとりかかったときだけは
しばしの沈黙があったが.

私は空気の読めないことに,藤木教授と米田先輩の苦手な牡蠣を注文しようとして
叱られ,空気の読めなさをさんざんに罵倒され,結局あきらめることになった.
あの店なら牡蠣もうまいにちがいない.次回行って確かめるのが楽しみだ.

お腹がいっぱいになったあとは,そのまま近くのバーへ.
藤木教授いわく,マシンガン抱えた奴が飛び込んできそうなほどシカゴなバー(意味不明).
引き続きおしゃべりしながら,アメリカにしては悪くないビールを頂く.

飲みながら,翌日の帰国便の話になる.井鈴は直行便で帰国だという.
それは安心だなぁとうらやみつつ, そこで私が
「自分はシアトルで40分乗り継ぎの予定なんですが,そんな短時間の乗り継ぎって
いったい可能なんでしょうか?」と藤木教授・米田先輩に聞いたところ,
お二人は声をそろえて「そりゃあ無理というものだ」と即答された.

藤木教授は「そもそも40分乗り継ぎなんてルールで禁止されてるはず」
「シアトルに着くのも遅れるだろうしな」などとのたまうし,米田先輩は
「シアトルの国際線-国内線の乗り継ぎは空港内で電車を二回乗り継がなきゃだぜ」とおっしゃる.

ニヤニヤするお二人の顔にすっかり不安になった私は,お二人から
成田行きに乗り損ねた場合の対応を一生懸命教えていただいた.
曰く,

一,カウンターでの交渉時,泣きそうな顔をするな
一,カウンターでの交渉時,どうしてほしいのか,こちらの主張をはっきり言え
一,荷物はあきらめろ

なるほどなるほど,と私は心のメモ帳にめもった.
愚者は経験に学び,賢者は先輩の教えに学ぶのだ.

いろいろ教えていただいたからには,事の顛末を出張報告に書きますと言うと,
藤木教授が書き出しを考えてくださった.それが冒頭の一行である.

日付が変わるまで飲んで,ホテルに帰る.翌朝7時に起きられるか心配だったので,
受付でウェイクアップコールを頼んで,目覚ましを三つかけて,これでOKと.
なにせ前回のアメリカ出張は寝坊して危うく帰国便を逃すとこだったので,
今回は用心を重ねないといけない.
その後,荷物をまとめて,シャワーを浴びて,気持ちよく就寝.

* * * * *

翌日.帰国の日.ドキドキの一日の始まりだ.まずはちゃんと起きられるか心配だったが,
きちんと6時半に目が覚め,支度をして空港へ.

チェックインもスムーズにすませ,お土産のギラデリチョコレートを買って,
いよいよシアトル便に乗り込む.さあ,38分乗り換えに挑戦だ.

* * * * *

機内での2時間の睡眠から目を覚ますと,ちょうどシアトルに着陸するところだった.
到着は予定より10分くらい早い.
よしよし,いいぞ.成田行き出発まで50分近くある.

空港に入ったらすぐに成田行き便の出発ゲートを見つけられるよう,
眼鏡をしっかり装着.荷物もできるだけまとめて,ダッシュできるように.
到着ゲートから小走りで出て,出発ゲート一覧の表示ボードに向かう.
米田先輩によればここから電車に二回乗るはずだ.一刻を争う.

そして表示ボードにNarita行きをさがす.行き先の名前はアルファベット順に
並んでいるので,Naritaを見つけるのはそんなに難しくない,はずなのだが...
J, K, L, M, ..., O, P, ... あれ?NaritaのNがない!

空港の地図を見ても,国際線は何番ゲート,とかそういう情報も書かれていない...
米田先輩の助言通り,確かに電車も地図に載っているが,どれに乗って
どこで降りるかわからない!!

まずい,まずいぞ,とりあえずカウンターのマダムに聞こう.
すんなり教えてくれそうな顔の人を選ぶんだ.おお.よさそうな人がちょうど
さっきの到着ゲートのカウンターにいる.そこまで戻ろう.ダッシュだ.

カウンターに走り寄って,できるだけ丁寧な口調でたずねる.
「すみません,成田行きの便に乗るんですが,何番ゲートに行けばよいでしょうか?」
マダム答えて曰く,「成田行きですね.N10番ゲートですよ.つまりそちらです.」

マダムのさした先は私の背後,10メートル先のゲートだった.
なんと,成田行きの便は隣のゲートだったのである.
すぅーっと緊張がとけて思考回路がシャットダウンしていく頭の片隅を,
マダムの声がすりぬけていく.「まだまだ出発まで時間がありますね.
お土産さがしに,そのあたりを一周回られてはいかがですか?」

* * * * *

こうして勝負の一日はあっけなく終わった.
小心者・心配性の人に対しては,世の中たいていの事はよい方向に転ぶということだ.

タイからのお客さんを囲む会にも無事参加.
実はその人とはほぼ同時刻に成田に着いていたが,こちらが京成線にゆられて
東京に戻ってくる間に,あちらの要人は黒塗り(かどうかは知らないけど)の
お迎え高級車で先に東京に着いていた.これを格差という.

* * * * *

今回の出張報告も前置きの話が長くなってしまった.
今回の出張の目的はサンフランシスコで毎年開かれるAGU学会
(American Geophygical Union)に参加することであった.
発表内容は低雑音の半導体イオン計測素子の開発で,成果的にはわりと
自信があったのだが,議論していると勉強不足の部分が見つかるもので,
まだまだ半人前だなぁとつくづく感じた.

poster
写真:発表ポスター.Japanese ZENの色を背景に.

幸い自分の発表が初日に終わったので,残りの日程はリラックスして
他人の講演やポスターを楽しんだ.
AGUは(地球物理の分野では)ほかのどの学会よりも皆気合を入れて
準備してきているので,不慣れな駆け出し研究者にとっては心地よい緊張感があって,
テンションも自然と上がる.

4年ぶりのAGU参加だったが,今回感じた特徴は,第23-24期の太陽活動極小期と
その地球への影響をテーマにしたセッションがいくつかあったことだ.
最近,次の太陽極大期に地球や人類が滅亡するというような似非科学が巷で蔓延っている.
この手の話に関して研究者は発信の仕方に十分注意しないといけない.

もうひとつ印象的だったのは,低高度・超小型衛星のセッションで多くの国が
打上げ間近の衛星計画を発表していること.そうやって各国の宇宙環境モニタ網が
充実する一方で,JAXAに関して言えばそのような計画はほとんど聞かない.
惑星探査計画やプラズマ粒子機器開発にしてもそうだけど,なんか,日本は
良くも悪くも米欧中心の集団から少し距離があるなぁと思った.
これが計画された「あえての独自路線」ならいいんだけど,そういう気もあまりしないので,
なんとなく不安である.

これも,無知で小心者・心配性のポスドクが勝手に物事をネガティブな方向に
捉えてるだけで,実際は様々な事がこれから良い方向に転ぶのならいいんだけど...
そんな事を考えた一週間の出張だった.

 

スタッフ出張報告に戻る

笠原の辛口出張報告に戻る