中央駅の外に広がる風景を見て,初めての海外旅行の新鮮な気持ちを思い出す. フランクフルトは大学3年生時の貧乏旅行以来,2度目だ. この街の中心部は比較的きれいなお店が歩行者天国に軒を連ねているのだが, 中央駅前に限って言えば,風俗街が広がる,ラブリーなところである. そんないかした駅前から少し離れ,カフェでホットチョコレートをすすりながら, ラップトップを開く. 明日にはフランクフルト空港を出て成田に向かう. 忘れないうちに,この3週間のドイツ滞在を纏めようと思う.


7月8日から29日まで,ドイツの中央北寄りの村リンダウ(農村) にある,マックスプランク太陽系研究所(MPS)に滞在した.目的は, (1)地球磁気圏探査衛星"Cluster"のデータに関する議論, (2)木星磁気圏探査衛星"Galileo"のデータ解析を始める 環境と信頼関係を築く事,の2つである.

Lindau village

MPSは,流石に欧州の研究所で,"9時5時生活"がきちんと 実践されている.土日に研究所に来る人間は変人か日本人かの どちらかだ.平日の晩でも,愛車を駆って外食に出かけること しばしばである.あるいは,広い庭でBBQをし,涼しい空気の中 イヴニングトークを楽しむ.
そのように"遊び"を大事にする一方で,9-17時の8時間 (2度のコーヒーブレイクとランチを除くと実質6時間)を 無為に過ごさないよう,集中して作業・議論をする. 彼らはそれを効率的,と言う.10時間以上研究室にいながら ネットサーフィンとチャットに明け暮れる生活よりは効率的だろう,と. (彼らにとっては,研究室に教科書より多くの漫画がある事は驚愕 の事実であろう.)

研究所の学生・ポスドク・スタッフは皆, ショートステイに来た僕が楽しめるよう,平日・休日を問わず 様々な場所に連れて行ってくれたし,色々な企画に誘ってくれた. おかげで,僕はこれまで3年半続けてきた"10時時間以上研究室にいる生活" からしばし離れ,刺激的な3週間を過ごすことができた.
「残業を愚痴り休日を生き甲斐にする」普通のサラリーマン生活を疎んで 薄給の鉄火場生活を送っている僕にとって,この3週間はさながら ヴァカンスの様であった.


最初の週末は,まったく予定外の過ごし方になった. 金曜日,同室の院生(彼は金星を研究しているポルトガル人)が 音楽は好きかと尋ねてきた.好きだと答えると, じゃあ金土と泊りがけでライブに行こう,と言う. 聞けば,エレクトリックな音楽だとか.正直その手の音楽には 全く興味がなかったし(というよりあまり好みではない), 夜通しライブ2連荘だと言うので,最初は あまり気が進まなかったのだが,農村で日がな牛を眺めながらハエ叩きに 精を出すよりはずっとましだろう,と思い直し,是非連れて行ってくれ,と お願いする.
リンダウからフェロポリスまでは車で3-4時間.日本で例えれば, 群馬・福島あたりの農村から,富士ロックに車で駆けつけるようなものだ. 実際,ライブ会場近くの風景は,山梨を想起させるような林がたくさんあった. メンバはというと,MPSからポルトガル人,イタリア人, アルゼンチン人,日本人(僕)という多国籍な4人と,その他, 欧州宇宙機関(ESA)から5人(ポルトガル人+ドイツ人),という大人数. 男の子も女の子もみないいやつらばかりで,入れ替わり立ち代りで 僕に話しかけてくれた.平均年齢は27歳くらい. 9人の中で僕は2番目に若かったのだが,「そんなに若く見えない」と 指摘される.日本では言われ慣れている事なのだが, 欧州でも言われるとは思っていなかった.「もちろんいい意味で」 というフォローまで日本でのパターンと同じで,苦笑するほかない.

ところで,英語には日本語で言うところの丁寧語に相当するものはあるが, 尊敬語・謙譲語にあたるものがない.そういう境界条件で 長く会話をしているとどうなるか,というと,相手が年上だという事を 忘れ,(日本ではあり得ない事だが)日常会話でも対等な立場になってしまう. 年功より実力を優先評価する米欧の体制は,このような言語体系と 矛盾していない.
僕自身は敬語をこよなく愛する保守的な生粋の日本人だけれども, スポーツや科学の分野に限って言えば,敬語のない文化で培われる気質の方が 向いているかもしれない.というのも,スポーツは「上手いやつが偉い」 ものだし,科学は「正しいやつが偉い」ものだからだ.無条件に年功を 重んじるせいで言いたい事が言えない,やりたい事がやれない,という環境が できてしまえば,それらの分野における各人の能力の発展は阻害される かもしれない. ライブ会場での夕食時に,僕はビールを飲みたいが皆はどうするのか, と尋ねた.すると,不思議そうな顔で「周りは気にせずに飲みたいもの を飲みなよ」と返してきた. こういうときの日本人の繊細な機微を彼らが理解できるとは 思えなかったので,こちらの気持ちを説明することは諦め,ありがとうと 答えてビールを飲む. 朝4時まで"エレクトリックミュージック"にあわせて踊り,日の出と共に ホテルに戻る.こういうのも意外と楽しい,と思った. "エレクトリックミュージック"の中身自体は,小室哲哉の音楽 から歌詞をとったものを想像して頂ければそう遠くないと思う. これは音の配列ではあってもミュージックではないと個人的には感じる.
MELT! X
次の日は昼から動き出した.まずは おばちゃんが営む,小さなレストランでブランチ. 安くておいしいカフェ料理を楽しんだ.ドイツでは,ソーセージやハムなど, 豚肉加工食品は美味い. その後,夕方までヴィッテンベルグの街(とても小さいが美しい街)を 散策し,芝生でフリスビーに興じる.運動した後は,カフェで おしゃべり.ポルトガルから輸入した日本語 (さぼん,ぼたん,カステラ,などなど)を挙げて楽しんだ. 7時過ぎから再びライブ会場へ.一日目同様,夜通し踊った後, へとへとでホテルに戻った.そして,昼過ぎに起きて帰途に着く. 滞在一週目からだいぶ消耗してしまった.体調管理に気をつけねば, と思う.
Wittenberg

滞在2週目は,平日も遊びで忙しかった.月曜は研究所のゲストハウス に住む若人が集ってBBQ.特別豪華な食材を用意するわけではなく, 普段フライパンで調理するような肉を持ち寄って,網で焼く,それだけ. 大事なのは皆で集まっておしゃべりを楽しむ事なんだ. 彼らは,退屈な農村での生活を如何に昇華させるかについて よく考え,実践しているのだ,と感心した.

火曜には,滞在中の仕事で大変お世話になったポスドクの エレナ(ロシア人)の 家に呼ばれ,連夜のBBQだ.実はエレナとは,最初の一週間ほとんど 口をきいていなかった(Cluster衛星やGalileo探査機関連で一緒に作業しなければ ならないというのに!!).そもそも研究室で見かけることも少ないし… なんだか冷たいなぁと思っていたのだが,最初の一週間は風邪で 床に臥していたらしい,と後からわかったのだった. 誤解がとけてみると,彼女はなかなか魅力的な女性で,雑談は 楽しかった.村上春樹が好きだというのに"Norwegian wood" を知らないというので,ロシア語版を一緒に探したこともあった.
話がそれたが,その日のBBQで,エレナの家族,隣人とも仲良くなった. 家族は旦那のトマス(彼は太陽大気を数値計算で研究するドイツ人)と 息子のコンスタンチン8才.隣人は研究仲間でもある ニーナ(ロシア人)とジェフ(台湾人)だ.彼らとはその後も一緒に 観光や買い物に出かけたりと,楽しい思い出がいっぱいだ.

肉が焼けるまで,コンスタンチンがフットボールしようというので相手 をしてやる. 最初,負けてやったのだが,"You! Bad!"と言われ,子供相手に ちょっと本気を出してしまう.8歳児相手に大人げない,と情けなくなった. その後も,鬼ごっこを楽しむが,8歳児の際限ないエネルギーに脱帽. 自分の息子を持つには覚悟がいるなぁと噛み締めた. ちなみに,コンスタンチンは最近「遊戯王」のカードゲームに はまっているらしい. これは日本発のカードゲームで,パックされたカード を買い集めて遊ぶものだ.ときたま当たる"レアカード"を求めて
子供たちが際限なくカードを欲しがるようにうまくできている.
そして,想像に難くないが,このカードの値段がえらく高い.家の財政が
圧迫される,とエレナに散々愚痴られたので,日本国民を代表して
正式に謝罪しておいた.
その後,トマスに注がれるがままにドイツビールを堪能.胃腸に負担が溜まってくる.

 

その週の金曜午後は,疲れがたまったのか少し体調を崩してしまったが, 土曜の朝には復活し,独りゲッチンゲンへ.研究所の皆は大きな都市だ と言っていたが,東京から来ている僕にとってはとても小さな街だ. しかし,小さいからといって退屈という事にはならない. ウインドウショッピングを楽しみ,イタリアンレストラン でワインとオリーブを口にしつつ,ウェイトレスのお姉さん相手に 覚えたてのイタリア語を試す. 最後にスーパーで久々の魚を仕入れて帰路に着く. 日曜は体調管理のため,ゲストハウスでおとなしく研究して怒涛の 第3週に備える. 日曜の夕食はルームメイトのポン(中国人)と. フランケンワインを片手に,中国の情勢やら日中の歴史やら について語る.


嵐のような3週目はあっという間に過ぎ去った.毎日どこかへ出掛けていた. なかでも,エレナ達に連れて行ってもらったドゥデァシュタットは とても印象的であった.200年前に建てられた典型的ドイツ家屋が立ち並ぶ 美しい街だ.にも拘らず,普通のガイドブックに 載らないのは,恐らく街が小さいからで,こういう機会がなければ 来る事もなかったろうと幸運を噛み締める.
Duderstadt

別の日には,Galileoのデータ関連で大変お世話になった スタッフ,ノルベルトの提案で,湖畔のランチを楽しんだ. 村から車で20分程の所にあるゼーブルガーゼーという場所に, 湖のほとりにポツンとたたずむレストランがあるのだ. 典型的なドイツ料理を食しながら,欧州と日本の磁気圏 探査について語り合う.特に印象的だったのは,彼が体験した 土星探査衛星CASSINI打ち上げの話だ.射場近くのホテルの屋上で ロケットが夜空に飛び立つ様子を見守り(その時点では成功かどうかわからない), その後雲の奥に分離するブースターの光を見つけて打ち上げ成功を知り, そこからみんなでパーティーを始めたんだ, とうれしそうに話してくれた.MPSでは惑星磁気圏研究が 縮小傾向にある,と残念そうに語る場面もあったが, しかし,僕らの未来に明るい話題は多い. 欧州と日本の 共同計画である水星探査衛星ベピ・コロンボは2013年の打ち上げに向けて 着々と準備が進んでいるし,同じく日欧協力体制を想定している 木星探査ラプラス計画は,ESAのレビュウを経て高い確率でプリフェイズAに 進む見込みだという.そんな話をしながら,僕ら20代の若手は, さらに次のミッションを考えていかなければならない事を改めて 感じる.

ゲッチンゲンの中華レストランに行った日もあった.中国人も 一緒だったのだが,店員に中国語を話せる人がいなかったため注文に 苦戦(外見はアジア人なのだが).後からドイツ語の話せる仲間が 合流し,何とか注文にこぎつけた.春巻の生地はなぜかアップルパイ のそれだったが,その他の料理は中国人も認める正統中華だった.
ところで,このレストランでもそうだったのだが, 「ドイツ語で何かを懸命に訴えるウェイターに対し, ドイツ人と僕だけがその内容を察し,他の皆はキョトン顔」という状況は, 今回の滞在で何度か体験した(ちなみに僕はドイツ語は話せない). こういうとき,日本人というのは海外諸国の人に比べて「察する」能力 の高い人種ではなかろうか(あくまで平均的な話だが),と実感する. 僕に言わせれば,それまでの文脈とウェイター/ウェイトレスの表情を 考慮すれば,言いたい事は大体察しがつくだろう,と思うのだが, 彼らにはそれができない. 日本にいる僕の友人なら,きっと皆「察して」いるだろうなぁ,と思う.
Goettingen

リンダウ滞在最終夜には,感謝を込めてエレナ,トマス,ニーナ,ジェフ に日本食を振舞った.お好み焼きは材料不足で満足なものが作れなかったものの, 豆腐とわかめの味噌汁,肉じゃがは普段から作り慣れているだけあって, 上手くできた.彼らは非常に気を使える人達で,うまいうまいと言いながら おかわりまでしてくれた.良い人達に巡り会えて本当に良かった, と思いながら食事を楽しんだ.
Friesen Geist
食後は「燃やす酒」を楽しみながら,イブニングトーク. マセマティカの可能性と限界について,とか, 指導教官との関係のあるべき姿とか,アカデミックな話題で盛り上がった (自分の指導教官の素晴らしい指導態度を語ったかどうかは秘密). 週末ということもあり,11時過ぎまで話し込んでしまった. 彼らとのお別れはとてもつらかったが,"keep in touch"を約束し, 辞去.


振り返って一番印象に残るのはやはり,彼らが夕べの生活や週末を 大事にし,しっかり遊んでいる,という事だ. 3週間,その仲間に入れてもらい,本当に楽しませてもらった. しかしというか,その楽しい生活の中で再確認したのは, (少なくとも家庭を持つまでは)真っ白になるまで自分を燃やし 続ける生活の方が僕の性に合っている,という事だ. ヴァカンスはたまにあるから楽しい,というのが僕のスタンスで, それはしばらく変わりそうにない.
さあ,鉄火場に戻ろう.

29.07.2007 雨のフランクフルト,歌劇場近くのスターバックスにて想う
Star Bucks

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