スタッフ出張報告

2010年6月24日 マドリッド
藤本 正樹

2006年6月のドイツW杯期間中にフランス・ナントにて木星探査会議に初めて参加した(ナントは1998年フランスW杯の会場の一つでもあった)。会議はブラジル戦の翌日であったが、W杯という場にふさわしくないチームの戦いぶりと、その時点までは木星探査を本気の本気では必ずしも考えてこなかった自らの立場との相似性に、かなり居心地悪く会議会場へと向かった朝だった。もっとも、一旦会議が始まるとそれは「仕事」なので、ベピ・コロンボで共同していること、ソーラーセイルという秘密兵器があることを軸に、パートナーとしてわれわれISASは「興味深い相手である」ことを主張した。そして4年後、紆余曲折を経ながら木星探査での協力の可能性は細々ながらも続き、2010南アW杯期間中、IKAROSが宇宙におけるセイル展開技術実証をやってみせた直後にベピ・コロンボの会議でマドリッドに来て、やはり、日本の一次リーグ最終戦を観戦することになった。

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写真:ホテル(Jardines de Sabatini:ハルディネスと読みます)の部屋からの眺め。
今回はESAのアレンジだったせいだろう、このように宮殿を正面にとらえる
素晴らしい部屋にリーズナブルな料金で泊まることができた。

ベピ・コロンボ会議の議題は、「水星周回軌道に投入後の科学観測計画をどのように策定するか」である。今回は二回目だ。前回は、藤本がドタキャンし、篠原がひとりでマドリッドの街をうろうろしていたら警察に身柄拘束され(アホや)、さらに、郊外にある会議場のESACの場所をタクシーが間違えて…、さらにさらに、誰もどうまとめていいのかわからない議題でよくわからないうちに会議終了…、とドタバタだった。今回はその後の議論を経ていたので議論はどうにか噛み合っていたが、科学者側がESAエンジニアを警戒するという雰囲気は同じだ。ISAS側にとってもこれは新しい話だが準備は開始しており、ESAと比べて遅れていることはないと確認した。むしろ、科学者・エンジニア対決という図式がISASでは(高島、篠原、藤本らが「二つの帽子」をうまくかぶり分けるために:まあ、要するに、良くも悪くもISASスタイル)ないので、より効率的に行けると思う。

科学観測計画策定の心配を、なぜ、打ち上げ6年前の今にしなければならないのか。理由は、水星という環境が厳しくリソースがきわめて限定されるということに尽きる。衛星の成立性を危うくしていけない。しかし、それで漫然と安全サイドに立つと真に魅力的なデータは取れないのである。そうではなく、「衛星の熱状態や通信レートを合理的に予測しながら、どの期間にどういう観測をしてどれだけの量のデータをメモリに格納し、どの期間にどういうレートで通信をして、どういうデータを地球上の研究者へと渡す」ということをかなり真面目に突き詰める必要がある。そして、衛星や観測機器の姿が見え始めた今、この作業を開始しなければいけないのだ。今後はSE室の上野さんを巻き込みながら専任の人材も投入してツールの構築を進める。(「あかつき」はそうでもないらしいが)どの惑星探査もチャレンジングでリソース制限は厳しいのだから、このツール構築作業に一般性を持たせることで、今後ISASが惑星探査を推進していく上での基盤整備を行うことにもなるのだ。これは、H-IIAロケットの三段目導入やデータ受信にKaバンドを導入することに匹敵するぐらいに、根本的なレベルでの基盤構築だと思う。

さて、サッカーの話。実は、サッカーの話題は「外交」にかなり使える。EURO2008の時もベピ・コロンボの会議がオランダであったのだが、ドイツが準決勝に進出するということでESA側のプロジェクト・サイエンティストであるヨハネスは盛り上がっていた(ドイツ学校の観戦イヴェントに参加しないかと誘われた。断った理由?それはね…)。今回も、ドイツが決勝トーナメント進出をどうにか決めた翌朝にホテルの食堂でいっしょになり、「一次リーグでの敗退なんて、ちょっと記憶にないぐらいにヤバイこと。特に、2006年の地元開催以降、極右と切り離された健全なナショナル・チーム応援という雰囲気が出てきているので、ちょっと残念なことに成り兼ねなかった。」という話などを和やかな雰囲気でした。また、木星探査の軌道検討をするミラノ出身(で、世界No1のインテルのファン)のステファーノともマドリッドに来る前に相模原で盛り上がっていて、「ドイツ、フランスには負けられん、ここが相手の場合は、とにかく勝てばいいんだ」なんてことを言っていた。

そして24日。会議が夕方に終了するとヨハネスが「イタリア、負けた」とネットでチェックした結果を参加者に速報。ちょっと嬉しそうに見えたのは、こちらの先入観のせいだろうか。ただし、会議に来ているイタリア人は「これでローマの夜が静かになってよく眠れる」というタイプだったので、それほどのドラマにはならず。で、いよいよ、日本―デンマーク戦だと思いながらESACから市内のホテルへと戻るバスでは、やはりW杯の話。敗退したフランス代表に関してフランス人・ドイツ人と話す。ドイツ人が、やっぱりちょっと嬉しそうだった…。

夜。日本戦というマニアックなカードなので、ホテルが受信するチャンネルでは観戦できない。ということで、街に出て観戦場所を探す。まだまだ明るい街をぶらぶらしながら、まずアイリッシュ・パブに入ったが、どうも周囲がデンマークを応援しそうなのでパス。近くにアフリカン・ティストの、地元の常連しか行かない雰囲気のバルが看板を出しているのを見つけ、勇気を持って狭くてアフリカ民芸品が散らばる店内に入る。看板には日本戦、オランダ―カメルーン戦の二つが書いてあったので、店員(ブラジル出身のレオナルド)に声をかけ、日本戦にしてくれと頼み込む。TV画面に一番近いカウンター席を確保。試合途中に常連が来て「カメルーン戦にして」と言ったが、レオナルドがこちらを指で示して何かを言ってくれて、まあいいかと許された。アフリカン・ティストの店だったのだが。

茶色い砂糖をグラスの底にドバッと入れたモヒートを注文し、ミントを嗅ぎつつ、じゃりじゃりと甘味を噛みしめながら観戦準備完了。開始から10分間、かなりヤバイ。縦に割られている。それがやがて落ち着き、右サイドで本田のFK。GKがよたよたしているように見えたがブレ球のせいか。とにかく、GKのおたおたが見えた瞬間に入ると直感して思わず声が出る。店内はジモティでうるさくTV音声は聞こえない、そして、誰も見ていない。藤本の声を聞いて何事かと初めて試合に関心が向けられ、見栄えのよいゴールだったのでスペイン人の店員は「アリガトォ〜ッ」と叫んだ。後ろにいた客はTV画面に近寄ってリプレイを確認し、こちらへ親指を立てる。レオナルドが寄ってきて「ナカタはまだプレーしているのか」と聞く。「あれはホンダ」と教える。

二点目。FK場所と壁の様子を見て、右足で蹴れば入ると確信した。なので、こちらは無音だったのだが、試合に興味を持ち始めて画面を見ていたスペイン人店員が「ゴォール」と叫ぶ。レオナルドが寄ってきて、「エンドォ?」。そうだと教えると、「すごいよ」。実際、翌朝のCNNでこれがplay of the day に選ばれていたことを知る。レオナルド、目が高いな。

後半。2−1となったあとの選手交代で岡崎投入。メッセージがわかりやすい采配だ。ここは、2−1を守るのではなく、2−2でもいいと思うのではなく、3点目を取ってみせてこそ次の段階へと進化するのだ。なので、決勝トーナメント進出だけであれば大して意味のない3点目で、本田が相手DFをかわした時点からネットにボールが突き刺さるまで、大絶叫。カウンターにいた客がこちらを見て「お前、ハポン?」(藤本は、海外では韓国人と間違われる)。そうだと言うと親指を立ててきた。スペイン人店員は、「スーパースターがいないのだから全員でパス・サッカーすべき。なかなか、よくやっているよ」。

2時間半で、ビール一杯とモヒート三杯。おう、釣りならいらないぜ。遠くで稲妻が光る中、まだまだざわめきの残る夜の街を、ご機嫌に歩いてホテルへと戻ったのだった。

翌日のスペイン―チリ戦も、当然、バルで観戦。イエニスタの二点目。PKエリア手前でサイドの深い位置へはたいたので、相手はゴール前を警戒してラインが下がる。そこで、自身は浅めの位置をとってリターンを受け、フリーでパスをするようにゴールを決める。美しい。こういう形の研究をしたいものだ。

(帰国便LH710の機内にて)