スタッフ出張報告
Journal of a Geophysical Researcher
長谷川 洋
フランス・トゥールーズ(6月6日―12日)
「磁気圏界面過程に関する研究会」という、かなりマニアックな研究会に参加しました。GRLの現エディターでもあり、過去にも何度か共同研究しているBLに声をかけられたのがきっかけです。研究会は参加者を20人以下に制限して議論を促進するというスタイルで、楽しむことができました。研究会の目的の一つは、主催機関(CESR)が開発しているウェブベースでのデータ検索・プロットツール、AMDAを改善するためのアイデアを提示し、AMDAを用いたデータ解析研究を促進すること。AMDAは、「ある衛星・観測所で得られた、ある物理量・指数・座標位置が、一定時間だけある値の範囲内にあった時間帯」の集合を簡単に選び出し、その時間帯の様々なデータをプロットしてくれます。これにより統計研究などがより効率的に行えるわけです。
研究会の初日には、隣に座っていた知り合いのARが僕のジーンズの上にコーヒーをこぼすというアクシデント。さらにその日の夕方に皆で行ったパブでは、ウェイターがビールのグラスを置きそこねて倒し、再び僕のジーンズは濡れました。あるフランス人が尋ねました。「“二度あることは三度ある”という諺がフランスにはあるが、日本はどうか?」 多くの国には似たような諺があるようです。その後のディナーでは、今度はワインをこぼされやしないかとびくびくしていましたが、大丈夫でした。「明日また何かこぼされるかもしれない。」と言うと、「フランスには“明日は別の日”という諺もある。今日のうちに何かが起こるよ。」と返されました。
フランスの南部への旅行は初めてのこともあり、街の雰囲気や料理も楽しみました。パリなどの石造りの町並みとは異なり、トゥールーズの建物の多くはレンガ造りで暖かい色合いです。カスレ(Cassoulet)と呼ばれるソーセージと豆を一緒に似たシチューのような料理やフォアグラが有名のようで、賞味してみました。CESRに数か月間滞在中のJR(ドイツ出身・米国在住)は、カスレはいまいちだと言っていました。ソーセージと煮込んだ野菜の組み合わせは、確かにドイツ料理を彷彿とさせるもので、本場のドイツ料理にはかなわないのでしょう。JRといえば、メキシコ湾の原油流出事故についても語っていました。今の被害は海と海岸沿いだけだからまだいいが、ハリケーンがやってきた場合、原油を含んだ雨により影響は内陸部にまで及ぶとのこと。滞在最終日の6月11日はFIFAワールドカップの開幕日。フランス対ウルグアイ戦が行われており、街のバーでは多くの客がお酒を手に大スクリーンを眺めながら騒いでいました。
日の長い初夏のヨーロッパは観光に最適であり、多くの日本人がアムステルダム行きの飛行機に搭乗していました。8年前のちょうど今ごろに渡米し、ポスドクとして研究生活を始めたことを思い出しました。それ以前の海外旅行といえば、サンフランシスコでのAGU秋季大会に2度行ったことがあるだけ。英語もろくに話せない自分が単身渡米したときの不安感といったらありません。それが今では自分以外はヨーロッパ人ばかりの研究会の中で、かなり平気で議論しているのだから不思議なものです。
台湾・台北と台南(6月23日―7月1日)
台北で開催された西太平洋地球物理学会議(WPGM)と台南の国立成功大学で開催された国際宇宙プラズマシンポジウム(ISPS)に出席しました。国立中央大学でポスドクをしている妻にも一か月ぶりに再会。WPGMでは磁気圏界面のケルビン・ヘルムホルツ(KH)不安定について招待講演しました。近年、KH不安定についての研究が増えてきました。現象というものは一度発見されると次々と見つかるものですが、そうでないものまでそうだと解釈して発見したと言いだす輩も出てきます(事実などない、あるのは解釈だけだ:ニーチェ)。講演では、その場観測のデータをいかに注意深く解析すれば磁気圏界面のKH不安定を同定できるか図解しました。
発表が終わった24日の深夜は、FIFAワールドカップ日本対デンマーク戦。リアルタイムで観戦したわけではありませんが、日本は勝利し見事に一次リーグを突破しました。妻の知り合いのデンマーク人研究者JGは、学会会場でユニフォームを着るほどの大のサッカー好き。翌日の25日、彼は残念そうにしながらも、トーナメント戦での日本の健闘を祈ってくれました。25日の午後には僕も参加しているISSI研究会チームのリーダー、MDの発表がドタキャン。翌日26日にメールを確認してみると、24日の夕方に彼からのメッセージが届いていました(台北では訳あってインターネットに接続できなかった):「北京行きの便が遅れて発表には間に合わないから、代理発表してくれないか?」 正直言ってメールを確認したのが事後でほっとしました。依頼された時に快諾できるかどうかというのは相手によりますからね…。
台南での会議にはアジア人を中心に、太陽系プラズマ研究者が数十人集まりました。日本人の多くが1年以上も前にどこかで聞いたような発表をしていた中で、僕は新しいデータ解析手法についての最新結果を発表しました。一部の聴衆には印象づけられたようです。30日は渡米する妻がアパートを引き払うことになっていたので、早めに会議を抜けだし国立中央大学に戻りました。世界に目を向ければ、面白くてやたらと元気なアジア系シニア研究者(GP、ATYL、FCなど)がいるのに、日本の我々の分野にはいないと思った台湾出張でした。
P.S.1 台北ではTKN、RN、MSNの中村3人と我々夫婦で夕飯を食べる機会がありました。この分野にいる中村さんは皆個性的ですが、中でも彼らの会話はもはや漫才です。
P.S.2 JGRの前エディターだったZPの息子さんは有名なシンガーソングライターらしい。
米国・メリーランド州(7月4日―10日 ⇒ 7月4日・8日―16日)
導入:
今年2月のある日、GRLに出版された水星のFlux Transfer Event(FTE)についての論文を読みました。第一著者はNASAゴダード宇宙飛行センター(GSFC)のJS。論文には、我々も使っているグラッド・シャフラノフ(GS)法というデータ解析手法についての言及がありました。気になったのはそこに引用されていた論文。GS法を使ってもいない論文が2本も引用されており、肝心の最初にGS法をFTEに適用した我々の論文は引用されていなかったのです。似たようなことは、彼らの以前の論文にもありました。ケルビン・ヘルムホルツ(KH)渦の観測について言及している部分で、KH渦の観測について報告しているわけでもない論文が引用されているのです(さらに悪いのは、KH渦の観測的証拠など全く示していないことですが)。一度ならず二度も似たような間違いを犯すとはけしからんと思った僕は、JSに指摘のメールを送りました。何日か後に、彼から返事が届きました:「メッセンジャーのデータについて議論するために、GSFCを訪問しないか?」
ちょうどその頃、妻はNASAにポスドクとして採用され、GSFCで研究を開始することが決まっていました。こうして時期を合わせて僕も出張することになったのです。
7月4日(日)のイベント:
重いスーツケースを2個(荷物の大半は妻のもの)引きずって高速バスに乗って成田空港まで行き、そこで高いランチを食べてから、また同じようにスーツケースを引きずって自宅に戻ってきました。
なぜかって?
航空券が発券されていなかったのです。今回の航空券やホテル等はすべてGSFC経由で予約されていました。旅程表は受け取っていたので当然Eチケットも発券されていると思ってチェックインしようとしてもできない。旅程表にある電話番号に10年間ほど財布に忍びこんでいたテレフォンカードを4枚費やして連絡してみましたが、結局発券してもらえず。出直すしかありませんでした。疲れましたが、大した驚きやショックはありません。アメリカらしい、というのが感想でした。
自宅に戻ってから早速GSFCの関係者にメールしました。7月4日は米国独立記念日。翌日は振替休日だということを聞いていたので、出張を調整しなおせるのは米国時間の火曜日(日本時間の火曜夜)でした。7月9日に予定されていたセミナーに間に合わせることを考えると、7月8日に再出発というのが可能な解。JSからは、さすがに謝罪の一言と、「こんなことは今までになかった。」という返事。でも本当ですか…? 僕が米国でポスドク生活をしていた時や米国に出張した時には、似たようなトラブルは時々ありましたよ。
この日は妻も台湾から米国へ飛ぶことになっていましたが、乗務員が体調不良のため、成田からの便が飛ばず、ホテルで一泊という始末。もう笑うしかありませんでした。
7月8日(木)のイベント:
今度は無事に成田を出発。シカゴからボルチモアへの便の出発が1時間ほど遅れるものの無事到着。空港からホテルまではレンタカーで。GSFCには6年ほど前に同じくレンタカーで行ったことがあったので、GPS(カーナビ)も借りず紙の地図のみで挑戦。約5年ぶりかつ夜の運転は怖かったものの、大して迷うこともなくホテルに到着。
7月9日(金)のイベント:
NASA・GSFCの太陽圏物理科学部門を訪問。地球磁気圏界面の磁気フラックスロープについてセミナー発表をする。質問やコメントもそれなりにあって、印象は悪くはなかったという感想。JSは忙しいにも関わらず、NASAの全体像を説明したり、GSFC内を車で案内したりしてくれた。衛星全体を中に入れることができる巨大な真空チャンバー、強力な音波を出して振動試験を行う装置などを見せてもらう。妻は磁力計の較正試験装置に興味を持ってカメラに収めていた。午後はJSやScot Boardsenとメッセンジャーの水星フライバイ時のデータについて議論。夕方は妻の縦列駐車(メリーランド州では試験される)の練習に付き合う。妻が運転する車に乗るのは怖いことを実感。
入所許可証。赤色だと同伴者が必要だが、黄色だと一人でも
入所できる。緑色だと午後6時以降および休日も入所可。
7月10日(土)のイベント:
メトロに乗って妻が事前に連絡していたワシントンDCの日本車ディーラー(日本人が経営)へ。中古のトヨタ・カローラに試乗し、購入することを決める。午後はDCのアートギャラリーの一つ(Freer Gallery)に行くも、時差ボケによる眠気に耐えきれず、早めにホテルに戻ってきて昼寝。夜はDFの家に招待されて夕食をご馳走になる予定であったが、妻が住所を書いたメモをGSFCのオフィスに置き忘れていた…。土日は敷地内の建物に入るのにキーカードが必要らしく、まだキーカードを持っていなかった妻は結局入れず。妻がDFの家がある通りの名前を記憶していたものの、正確な番地は記憶しておらず、近所の人に聞いて15分遅れでなんとか到着(到着できたことがすごい!)。DFの奥さんであるバーバラさんはDFとは対照的によく話す。僕のポスドク時代の上司、Sonnerupの奥さんウーラを思い出す。夕食はアメリカ風だったものの、食材がよいものばかりだったせいか、牛肉も野菜もとてもおいしかった。米国の食事も捨てたものではないという感想を持った。しかし飼育などにエネルギーを使う牛肉は好きではない。
7月11日(日)のイベント:
妻のレンタカーをボルチモア空港まで返しに行く。実は到着日に道路の脇ですって小さな傷を作っていた(妻はとても気にしていた)のだが、自己申告しても何も言われず(さすがアメリカ!)。近くのショッピングモールを物色してからランチを食べ、午後はホテルの部屋でうとうとしながらもW杯の決勝戦を観る。
7月12日(月)のイベント:
DS主催のランチミーティングに参加。この日は特に発表者がいるわけでもなく雑談レベル。午後は韓国人女性のポスドクJoo(彼女は僕がダートマス大でポスドクをしていた同時期に同大学物理学科の大学院生であった)とクラスターのデータについて議論。
7月13日(火)のイベント:
THEMISのTV会議に参加。午後はMHと議論。彼はセミナーでも鋭い指摘をしてきたのだが、理論家が気になることというのは共通するようだ。台南でもFCやMH先生に似たような指摘を受けたのだ。夕方は妻のGPSとプリペイド携帯電話を購入しにいく。夜はJoo、Hui(中国人女性のポスドク。8月からはUAFに助教として異動することが決まっている。彼女は僕のポスドク時代にボストン大の大学院生であった)らとGSFCのすぐ前のモールの日本料理屋(オーサカ)で夕食。彼女らもいるし妻はGSFCで楽しくやっていくだろう。
7月14日(水)のイベント:
納車。米国に維持している銀行口座のチェックで金額の一部を支払う。午後はDFと議論、というより雑談。退官した今もサブストームについて研究している。THEMISのTDASソフトを使いこなすのに苦労しているようだ。しかし歳をとっても新しいことを習得して自分でやろうとするのが米国の研究者である。郵便局で翌日のアパート契約に必要なマネーオーダー(小切手のようなもの)を作る。MDから今度は「来週のCOSPARにも行けなくなったから、代理発表してくれないか?」というメールが…。行く予定はなかったので丁重にできないと返事。
7月15日(木)のイベント:
午前はAVさん(寺澤・星野先生世代?)と議論。GS法に興味があるらしく、太陽風中の磁気雲に適用したいらしい。「自分でプログラムを解読して適用するのか?」と聞くと、そうだと言う。さすが米国の研究者。ランチは他の人も交えて近くの中華料理屋へ。AVさんは最近、家の前に置いていた車を盗まれて、エンジンやその他の部品などが盗られた状態で見つかったらしい。たまたま盗難防止装置を作動させるのを忘れた日に盗まれたという(やっぱりアメリカ!)。午後は妻と共に不動産管理会社にアパート契約にいき、ホテルに置いていたスーツケースなどの荷物をアパートに移動させる。不動産管理オフィスでは、ガーナ出身で米国に30年ぐらい住んでいる女性が、とても丁寧に対応してくれた。
日本からJ1ビザで渡米した場合、最初の2年は所得税が免除になるのだが、妻は台湾で働いた後に渡米したため、免除されないことが判明。台湾の給料がよかったわけでもないのにこの扱いは酷い、と妻は落胆していた。米国で研究を始める前には日本に住んでいたほうが良さそうです。それ以前に給料と貯蓄を求めるなら科学者にはならないほうが、ましてやデータ解析屋にはならないほうが良いでしょう。この日はGSFCでポスドクを続けている星野研出身の銭谷くんとも雑談した後、もう一人の日本人、横山さんも交えて4人で夕食。
7月16日(金)のイベント:
レンタカーの給油口の開け方にとまどうものの(車内から開けるレバーは無かった。それもそのはず、車外から押せば誰でも開けられるタイプであった。でもそれではガソリンが簡単に盗めてしまうではないですか…)、ガソリンを満タンにしてから車を返却し、無事に帰国の途につく。
結論:
出張中は大きなトラブルは無かったものの、アメリカ人そして妻のいい加減さと気まぐれさに各所で振り回され、二重にストレスだったような気がする一週間でした。いずれにせよ妻は新生活を順調に始められそうです。でも朝寝坊の妻(他人のことは言えませんが…)と米国での生活を共にするような場合には、仮に職場が同じだとしても、車が2台必要になると悟りました。オフィスに到着するのが毎日昼近くになる…。