スタッフ出張報告

非出張日記、あるいは 48 hours
藤本 正樹

ISAS赴任以来、年に20回近い海外である。こちらが反吐を吐く思いで出張をこなしていても、「院生は、遊びに行っていると思っている」らしい(未確認情報)。今回は、反吐を吐いて、出張に行けなかった話。

ベッピ・コロンボMMO関係の、きつい日程(いつだってそうなんだ)の出張前日、元気良く研究室へ。朝、突然入ったきわめて重い議題の会議を終え、そこで気になったことを確認しに早川・MMOPM部屋へ行き、議論。そのうち、いきなり気分が悪くなってくる(議論内容そのものは、MMOでは問題ない、というものだったのだが)。議論を終え、部屋に戻ると、やたらと眠い。そして、ものすごく寒気がする。この時点では、この部屋が寒いのだ、などと思って、同室の秘書の浜田さんにぶつぶつ言っている。昼寝でもすれば…、程度の意識。

午後いちで、カナオミホと約束していた議論では、かなり興味深い結果が見えたのだが、気分が悪いので「面白いねぇ」程度のことしか言えず、おそらくは、彼女がいままで成し得た中で最大の発見だろうに、悪いことをしてしまう。その後、もう一人との面談をこなした時点で、本格的にダメということに気づき、帰ることにする。帰る際に廊下を歩いていると「おやつの時間」と称して、海外土産のマカロンとチョコが配られている。まったく手が出ないほどの気分。駅まで歩くことも無理と思え送ってもらうが、浜田さんのBMW・クーパーミニがこれほど頼もしく思えたことがない。

横浜線車中で一度、胃がよじれ、これは来るな、逆にデトックスしてしまえばOKだろう、と希望をもって帰宅。コート、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを取って、便座に座るのではなく向かい合うのだった…。事後、気分悪要因Aは解除されたはずも、目が回るような気分、要因Bが思ったほど軽くないことに焦る。が、どうしようもなく、かつ、病院に行く気力もなく、とにかく休むことに。二階寝室の遠いこと。

不思議な症状だ。せきなし、鼻水なし、頭痛もない。そのかわり、頭の真ん中に

眠い

という文字が居座っているような感じである。研究室にいたときからもそうだったのだが、ベッドで横になって目をつぶると気を失ったかのように眠ってしまう。しかし、快適な睡眠に程遠く、寝た気がしない。夢なのか何なのか、何かを追いかけているか、何かに追いかけられているかのような気分。1時間ごとに起きる。起きるたびに関節痛がひどくなっており、やたらに暑く感じる一方で、汗はまったく出ず、また、外気に触れると震えるほどで、体温を測る気にすらならない。というか、測っている間に眠りに落ちてしまうだろう。この時点で真夜中過ぎ。朝6時30分のバスの乗らなければならないのに、パッキングもしておらず、出張はキャンセルだと、「眠い」に99%占拠された頭の片隅で考えている。

熱が38度半ばになった翌日の夕方、ようやく、メールが出せる状態になって、同行するはずだった早川PMと篠原IAにごめんなさいをする。特に、最初から最後まで同一旅程だったはずの早川さんは、行きの成田や経由地FRAでも見かけなかったことで驚いただろう。また、篠原は、急に増した責任の重さをひしひしと感じたのではないか。

今回は、オランダでESA側の問題解決状況の報告を受け、スペインに飛んで惑星探査ミッション観測計画立案ソフトに関するブリーフィングを、ESAのメンバーとともにNASA・メッセンジャーチームから受ける予定だった。ともに、ベッピ・コロンボ計画のESA側で藤本の対面に当たるヨハネスとの良好な友好関係から仕入れたネタ(後者は完全に、善意のもとに便乗させてもらう、という構図だ)で、専門的には、あるいは、これが何度目かであるのであれば、それぞれ早川PM、篠原IAが一人で行けば済むのかもしれないが、前者はしっかりと聞いておかなければいけない話、また特に後者は、誰にとっても新しい話であり、かつ、ミッションと科学コミュニティとをダイレクトに繋ぐ部分でもあるので、PSという立場にあるものとして、さらに、ヨハネスにきちんとお礼を言う機会として、当然、専門家を従えての効率的な情報収集を目論んでいたのだった。

ところで:情報収集と称して、pptファイルをもらって帰るなんてのはガキツカだ、一緒にすんな。良い質問を、わかりやすい表現で、向こうが気持ちよく答えられるように、タイミングよく切り出すこと。鋭い質問やコメントをして一目置かせたりすること。良い話が聞けたときは、きちんと相手の目を見て感謝を伝えること。一緒に飲んで親しくなること。そこで肩を叩いたり叩かれたりすること。それが情報収集だと、オレは思うのだ。第三者的に外側からやるだけなら、取材。情報収集は、必要ならばアクティヴに関係を良い方向変えるぐらいのことを言うのだと思う。

話は横浜の片隅へと戻る。この間、口にしたのは、ストレート果汁100%ジュース「とっておき国産みかん」、「すご〜く大きなみかんヨーグルト」、それと、みかん。特にジュースは、1リットル400円以上もしやがる代物で、我が家のムダボ・リストの上位に常にあるのだが、今回、図らずも、少しずつじっくりと飲み(普段、ジュースはコップ一杯を一気、そういうもんだろ)、そのうまさをありがたいと本気で感じたのだった。かなり弱気になっていた証拠。

夜になって、とにかく流動食なら食えるぞとなり、必死にうどんをすする。新聞で「ハドソン川の英雄」のことを知る。ああ、それに比べて、情けない…。

明け方、汗が出始める。すると熱が下がり、よく眠れるようになり、また、汗をかいている。これを数回繰り返して、ようやく、7度前半。普通にものが考えられるようになった(カナオミホの発見「火星における非対称な太陽風との相互作用」に関する理論的考察とか、MMOが水星で観測を行う際の地球との通信実行シークエンスとか、SCOPEにおける台湾との協力関係のあるべき姿とか)のが、日曜昼、発症から48時間後といったところ。新聞で阪大での心肺同時移植手術成功を知る。ああ、それに比べて、…。

家人には、「休んでよい出張なら最初から行かなければ?」ときついことを言われる。年20回近くもやっていれば、数年に一度は仕方がないだろと思う一方で、ああ、確かにね、とも思う。これまで撒いてきた種が芽を出してきた頃だから、今回、篠原に任せることになったように、今後、任せていくべきかもしれない。で、院生たちが想像するような楽しい面が多い出張だけを選んで行ってやるのだ。わはは、強気が戻ってきたぞ。