スタッフ出張報告
雪のエアポート
藤本 正樹
記録によると、プロになってからのスター・アライアンス系での通算飛行距離は180万マイルを超えているらしい。実際、ここ7年間、月一回は確実に飛んでいる。であれば、何度もトラブルに会ってきただろうと思うかもしれないが、最近まではほとんど無いという印象だった。が、この半年で印象は大きく変わった。
前回の出張報告以降、秋にアメリカ内陸部に二回出張した。どちらも帰路はサンフランスコ経由としていた。乗換時間は2時間強あるので余裕のはずである。しかし、SFと言えば霧。
一回目。出発地(コロラド州デンヴァー)で、霧のため当局から着陸規制がある、なので出発を遅らせる、いつになるかは気象条件だから不明、というアナウンスを食らった。むむむ。でも、どうせSFからの離陸も遅れるからOKだろうと余裕をかましていた。で、2時間弱遅れで出発。到着してみると、成田行UAはon time となっている。おおお、離陸には着陸ほどには霧の影響が無いということか。乗り替え時間は15分程度しかない。当然、ゲートからゲートへとダッシュすることとなった。
二回目。出発地(ネヴァダ州リノ)で同じ状況になる。こういう時、同じ失敗を繰り返さないカシコイ人のことを本当にうらやましいと思い、自分が厭になるものだ。やはり、2時間弱遅れで出発、ということは、乗り替え時間は15分程度しかない。しかも、今回はゲート位置がかなり離れていて、途中でシャトルにも乗らなければいけない。到着後、シャトル乗り場へとダッシュ、急げ急げと運転手に言って半ば無理矢理に出発させた。
ちなみに、どちらの場合も預けていたスーツケースは乗り継ぎ便で届いた。奇跡的である。それとも、乗り継ぎでそんなに慌てなくてもよかったのだろうか?そう信じて悠然としていられる人のことは、本当にうらやましいと思う。
10月末のNY出張はほんとうに楽しみにしていた。中坊やってた頃に2年ほど住んでいたのだが、以来、一度だけプライヴェートで再訪している。出張用件が全くないのだ。珍しい今回は、水星探査会議で、しかもマンハッタンの中央公園近くのホテルが会場。さらに、レセプションはnight in the museum と洒落ている。が、ハリケーン直撃。じりじりしながら様子を見ていたのだが、出発前に会議キャンセル連絡がきたので、しぶしぶ航空券をキャンセル:もっとも、当日、飛行機は成田から飛ばず、しかも、その後3日間ほどは大混乱だったらしい。前日入りしていた欧州勢はそのままホテルで缶詰だったようだ。こちらは直前キャンセル、なので、ホテル一泊分は自腹かよと思っていたら、請求されず。ホテルは、避難民は泊めたが営業はしていなかったということらしい。
昨年冬には、5週間で欧州3往復した。
その最初は、東工大でのWSを夕方に終えたあと、羽田から深夜1時発ANA便だった。機材は787。とても快適。機内でよく休めるので、朝着陸して、そのまま会議に出ても何も問題もない。しかし、これを書いている今、787はバッテリー・トラブルで運航停止状態にある。
三回目は12月中旬で、雪のフランクフルトで問題が発生。到着する頃、空港閉鎖中なのでミュンヘンに降りて給油するということになった。ミュンヘンで2時間ほど過ごしたあと、3時間遅れの夕方5時のフランクフルトに到着。すると、ありとあらゆる便が、遅れではなくキャンセルされていることに気付く。つまり、実は半日ほど閉鎖していたので、機材が着陸せず出発する便が組めないということらしい。明日の朝の便を確保すべく列に並ぶ。全然動かない。4時間かけてカウンターに辿りついたら、貰えたのはホテル宿泊券のみ。チケットは明日の朝に手続きして頂戴とのこと。4時間も並んだんだぞ、信じられない、いったい何に時間がかかっていたんだろうか。窓口で文句を言っても仕方がないので(実際、お互いたいへんだよね、と笑いかけたのだった)、とにかくホテルから東京に連絡を取り、東京経由でチケットを手配した。これがどんなに有難いことか、この時点では知らない。むしろ、寝る時間がないので翌日の会議がしんどいな、と不平を感じていたぐらいだ。
翌朝6時前、ホテルから同じような状況にある面子でタクシーをシェアして空港へ。ただし、連れとなったデンマーク人とアメリカ人はチケットを確保できていないとのこと。空港ビルはガラスでできた瀟洒なものだが、この時ばかりは、内部でひとの列がとぐろを巻いている様子が外からも見えて、まるでレントゲンだなと思った。この時点で、連れの二人は完全無口。挨拶もそこそこに、ビルへと突っ込んでいった。内部で列を作っていたひとたちは一晩中並んでいたのだろうか。こちらは、安全審査にはうんざりするほど並んだが、それもチケットを楽に発券した後のことだったので、比較すればどうということは無い。
アムステルダムに自身の体は着いたが、やはり、スーツケースは二日後まで届かなかった。さすがのルフトハンザもFRAが半日閉鎖するとバタバタするらしい。
2013年1月14日。大雪が首都圏を襲った日は、成田からUSへと出発する日だった。朝は雨だったが、たまプラーザからのバスに乗るべく家を出る頃には、大きな雪片がかなりの勢いで降っていた。バス停で、出発地である新百合ヶ丘からのバスの到着が遅れているとのアナウンス。道路状況モニター(こういう時のためにあったのですね)には、雪がかなり積もった路面をのろのろと車が進む様子が写っている。あかん、と判断し、上野からのスカイライナーというプランBに変更(たまたま、バスの時刻表が合わず、1時間ほど余裕があったことも幸いした)。久しぶりのスカイライナーは、随分と綺麗になっている。時々徐行しながらも4分遅れで成田空港に到着。やれやれ、である。
がらがらの空港。でも、機材は届いているので出発する気は満々とのこと。実際、搭乗そのものは、20分遅れの4時半だった。がらがらの機内。雪のせいか、連休最終日だからか。しばらくして、雪降ろしをしてから出発なので、しばらくはこのままゲートに留まる、とアナウンスがある。
ま、1時間ぐらいやろ、と思い、古代文明ミステリーのドキュメンタリを選択して視聴(音声は英語しかない)。それを見終わる頃、「解凍車(お湯を機体にぶっかけるやつ)」が故障して1台しか残っていないので時間がかかる、とアナウンス。ま、それでもあと1時間やろ、と、もうひとつ古代文明ミステリーを視聴。視終わっても、何も起きない。
本腰を入れるかと、「天使と悪魔」を英語で視聴(原作を読んであるので、大きな問題はない)。「やっぱいいね、ローマは」とひたっていると、「4時間たったので、法律によれば、希望者がいればドアを開けて外に出ることを許可しなければいけない。しかし、その最中に解凍車が来たら、出ていった人が戻ってドアを閉めるまで作業開始を待たなければいけない。その場合、まず間違いなく順番が解凍作業は後回しになってしまい、いつ出発できるか全く分からなくなってしまう。それでも、外に出たいひとがいれば言ってください」とアナウンスが流れた。もちろん、誰も出ていかない。
でも、解凍車は来ない。腹減ったぁ〜と思いつつ、「ダ・ヴィンチ・コード」も視始める(英語:同様に原作は読了済)。「天使」のほうがいいよねと思いつつ(その理由は何のことはない、ちょっとイラつき始めたからだったような気もする)、テンプル寺院はこれを読んだからこそ訪問したんだよな、とか思い出す。
そのうち、「もうすぐ解凍車が来るとの連絡があった。一方で、空港は10時半に閉まる」とのアナウンスが10時15分にあった。ダメじゃん。ああ、成田宿泊は(ホテルに空きがあったとして)自腹、かつ、出張はキャンセルだと覚悟する。で、そわそわしながらも、やけっぱちで映画を視続けると、しゃわしゃわとお湯のかけられる音がし始める。10時半を過ぎているんだけど?ようわからん。で、映画を視終わる頃、「解凍終了、ゲートを離れます」とThank you for your patience. という何度も聞かされた慣用句とともにアナウンス。おお、最後に離陸する便だということか。ラッキー。でも、それからさらに30分ほど滑走路の上でうろうろし(何をしていたのだろうか?!)、23時30分過ぎに、ようやく離陸したのだった。
ゲートで7時間も釘付け。
(1)だったら、ラウンジに居させてくれよ。いや、それでは解凍車が来ないのだ。離陸準備OKの状態でしか解凍作業を受けることはできないらしい。
(2)だったら、機内で仕事しろよ。ああ、うるさい。でも、そうだよね。「天使」を見始めるかどうかが分岐だった。もっとも、離陸後にようやく食ってちょっと寝た後、(視るべき映画もなく)機内でアダム論文のプレス発表原稿を書き、そのついでに関連論文も読みはしたのだ(やり尽くした感からお休み気味だったhybrid codeでのショック計算は、今回のアダムによる発見をきっかけに、高マッハ数領域で再始動だぁ!)。が、それら「お気に入り」以外の、しんどい仕事は、とても出来なかった。
<編集 浜田恵美子 2013/02/05>