スタッフ出張報告
IAGA 2013出張
長谷川 洋
昨年数か月間、宇宙研に滞在していたSergioはメキシコ人だ。彼は海外からの客人の中では珍しく、“とても”いいヤツだった。この8月に僕がメキシコに出張することは、彼が宇宙研に来る前から決まっていたことだが、彼といくらかの時間を共有した後は、メキシコのことをほとんど何も知らないのに、メキシコ出張が楽しみになった。
メキシコに2度ほど行ったことがあるというイギリス人のオフィスメート、Robertによると、日本や欧米で見かけるメキシコ料理というのは、米国テキサス州を起源とするメキシコ料理がほとんどだそうだ。確かにメリダで毎日のように食べたメキシコ料理は、これまでのメキシコ料理のイメージを塗り替えた。Sergioから聞いたことだが、メキシコの昔の領土は、今の2倍ほどもあった。アメリカとの戦争に負け、今のテキサス州、カリフォルニア州、ニューメキシコ州、アリゾナ州などを割譲することになったのだ。長年アメリカに属すると、もとはおいしかったはずのメキシコ料理もおいしくなくなるのだろうか。
写真:メリダでは、毎晩のようにどこかの広場でライブ演奏が行われ、それに合わせてダンスするカップルの集団が見られるようだ。
学会初日にはULF波動のセッションがあり、ミシガン大学のアメリカ人ポスドク、Michaelの発表があった。彼の論文を2本ほど読んだことがあり、印象に残っていたが、学会発表を聞くのは初めてだった。やはり彼はアメリカのULF研究の若手ホープだなと思い、夕方にポスター会場で話しかけてみた。ポスター会場では地ビールやワインなどがふるまわれていたが、Montejoというビールのボトルを手に、久しぶりに研究の話題で盛り上がった。運動論的アルヴェン波などの研究で高名な長谷川晃先生のおかげで、こういう所では僕のネームバリューが役に立つ。「玉尾先生の磁力線共鳴の論文が有名だが、東北大学の報告書に掲載されているだけで、スキャンした論文を持っているだけなんだ。」等々、マニアにしか分からない話をMichaelは熱く語っていた。
メリダが位置するユカタン半島には6500万年前に恐竜を絶滅させたと言われる隕石が落下した、という話を記憶の底からよみがえらせてくれたのは、グラーツ在住のロシア人研究者、Evgeny。「隕石が残したクレーターの痕跡を、学会中に見に行く予定なんだ。」と、Evgeny。ユカタン半島には、チェチェン・イッツァやウシュマルなど、マヤのピラミッドと呼ばれる世界遺産もたくさん。学会参加者の多くは学会を抜け出し、観光に出かけたのでしょう。聴衆の少なかったセッションの多かったこと。僕は3つほど、美術館や博物館に行ってみた。もちろん、セッション終了後の夕方や学会終了後に。
学会に会場を提供しているホテルのソファに座っていたら、ホテルに宿泊中のメキシコ人らしき男性に話しかけられた。いったい何が開催されているのか聞かれたので説明する。宇宙天気やプラズマ、高エネルギー粒子などの用語を持ち出すと、やたらと興味を示してきた。何故かと思ったら、パイロットらしい。「一般人も開催中の学会を聴講することはできるのか?」、「太陽嵐や宇宙嵐のせいで、GPSのナビゲーションシステムが不具合を起こすことはあるか?」、 「宇宙嵐、というよりGPSの不具合発生を予測することはできないのか?」等、それなりの知識を持っている人の質問であった。まず役には立たないだろうが、求められたので、今回の学会発表で使ったプレゼンファイルや自分のメールアドレス情報を渡した。だからと言って、僕に連絡してくることもないだろう。
学会最終日には、ニューメキシコ州在住の日本人Takumaとその息子、Tsukihikoと夕食。レストランでは店員が、「おまえ、スペイン語は話せるか? マヤ語は? それならフランス語は?」と、“英語”で日本人の僕に聞いてくることがあった。最初から英語で話してくださいよ、と思うのだが、これがラテンのノリなのだろうか。一見物静かそうに見えるが、Takumaはしゃべる時はしゃべる。その血を引いたのか、小学生になったTsukihikoは輪をかけてしゃべる。日本語も英語もスペイン語も。
メリダでは麺類を見かけなかった。いや正確には、イタリアンレストランはいくつもあったし、メキシコ人の顔をしたインド人のようにも見える中国人らしき人の絵が壁に描かれた中華料理屋はあったのだが、あえて入らなかった。帰国する頃にはやたらと麺類が恋しくなっていた。成田空港からのバスをたまプラーザ駅で降り、ラーメン屋“一風堂”に駆け込んだ。完食後、「豚骨スープはやっぱり僕の好みじゃないな。」と思った。
<編集 浜田恵美子 2013/09/10>