スタッフ出張報告

内之浦での2週間
松岡 彩子

 

観測ロケットS-310-38

宇宙研の観測ロケットには現在、S-310、S-520、SS-520 という3つのタイプがある。今回の実験は、そのうち最も小型のS-310ロケットによって、電離層の観測を行うものであった。しかも、普通の電離層ではなく、スポラディックE層という特殊な現象が起きた時の電離層を、日没後のわずかな時間帯に絞って観測することが目的であった。このロケットプロジェクトは、ほぼ1年前の2007年3月に開かれた計画会議でスタートした。実験主任の阿部さんが、観測目的と打ち上げに必要な条件を説明すると、工学の担当の方たちからは、押し殺したようなため息が発せられた。自然現象と、打ち上げ時間の2重の条件・・・これはまた、長い射場作業になりそうだ、はぁ〜・・・この憂慮の意味するところは、後に内之浦の射場で身をもって知ることとなる。

私自身は、新しく開発したデジタル方式の磁力計を搭載し、その性能の確認と、ロケットの姿勢データを求めることが目的であった。宇宙研に入って19年になるが、実は観測ロケットへの参加は初めてである。他の参加は経験者の方ばかりだ。いろいろな物事が「では、前回の通り」という説明で片付けられていく中、ロケットビギナーの私は周りに教えを請いながら作業を進めていった。

いよいよ内之浦
fig1 (写真1)

1月25日に内之浦へ移動し、26日は全体打合せ。同日の動作チェック(写真1)、27日の全段結合、電波テスト(リハーサル)と、準備は順調に進んだ。27日午後、報道公開の時に、ランチャドームまで行き、モーター部の上に結合された頭胴部を見上げた(写真2)。明日はいよいよ打ち上げられるんだなあ。 打ち上げ予定は28日の夕方6時だった。風の強い日であったが、4時にタイムスケジュール入りした後、打ち上げ準備は順調に進んでいった。山川のイオノグラムを見ると、はっきりしたE層が継続して出ていた。私はイオノグラムを見慣れてはいないのだが、詳しい人に聞いた話では、ちょっと異常なほど強いということだった。打ち上げ時間が近づいてきた。5分前のイオノグラムでも、E層はくっきり見えている。いよいよ打上だ−−−−「観測条件を満たさないため、本日の打上を中止します。逆行手順に入ってください」え?という反応が、皆さんの間に無かったとは言わない。しかし短い時間の後には、粛々と逆行手順を進め、粛々と片付けを行い、講堂に全員集合した。今日の作業の報告の後、打ち上げ予定日が3日後の31日であることが告げられ、解散となった。
fig2 (写真2)

内之浦までの移動にはそれなりの時間がかかる。羽田から鹿児島まで飛行機で2時間、鹿屋までバスで1時間40分、内之浦までタクシーで30分。折角来たのに、5日で帰るのはもったいない。私が前回内之浦に行ったのは、一昨年「あけぼの」衛星データ記録装置の更新作業をした時で、滞在は1泊だけ、内之浦にいたのは20時間程度という強行軍であった。2005年には、イギリスからのインターン学生を引率して「すざく」打ち上げを見に行ったが、悪天候で打ち上げの目処が立たず、結局鹿屋に2泊だけして帰ってきた。だからこの時、ロケットの打ち上げ延期が決まっても、もうちょっとゆっくりできる、ラッキー、くらいに考えていた。

延期、また延期

31日、スポラディックE層が出現せず。打ち上げ予定時刻直前に延期決定。2月3日、やはりスポラディックE層が出現せず。打ち上げ予定時刻直前に延期決定。3日にはロケットは打ち上がらなかったが、打ち上げ予定時刻の直前に桜島が噴火して、内之浦でも硫黄のにおいがした。

このように、延期が決まると次回の打ち上げ予定は毎回3日後となる。3日後に自分がどこで何をしているのか決まらないというのは、3回続くと確かにつらくなってくる。観測機器担当は、そのような要求を出している側だから文句は言えないが、工学の担当の方々の、いつ上げられるのか、という関心の高さはひしひしと伝わってくる。変なたとえかもしれないが、信号が青になるまでの待ち時間を表示している交差点で、残りの時間が次第に減っていき、とうとうゼロになったとたんに、「今回は青になりません。もう一回お待ち下さい」と言われるようなものか。スポラディックE層が自然現象である以上、出現には何らかの要因があるはずだが、それがわからないまま、自分の行く末(3日間だが)を電離層にひたすら託して、打ち上げの機会を待っていた。一方で、生成過程がわかっていない現象だからこそ、わざわざロケットを上げてまで観測しようとしているのであるから、ある意味仕方が無い。

打ち上げ準備を進める間、ロケットテレメータでは、時計と共にイオノグラムがスクリーンに映し出され(写真3)、そこにいる皆が「にわかEスポ屋」になっていた。きっと他の持ち場でも同じような感じだったのだろう。かたや、スポラディックE層の生成機構を解明すべく集結した、理学のプロの研究者である観測機器担当者たちは、スポラディックE層が出ずに打ち上げが延期される度、原因は今朝、宿の猫が見送りに出なかったせいだとか、お昼に○○を食べたせいだとか、極めて非科学的な議論をしていた。
fig3 (写真3)

そして打ち上げ

内之浦に来て13日目。2月6日、同じく夕方4時にタイムスケジュール入りし、これまでの3回と同じ手順が繰り返されていった。ロケットがドームに向かってそろそろと動いていく(写真4)。今日はE層も出ている。カウントダウンが始まる。えっと、打ち上げの瞬間、私はどこを見ていればいいの?クイックルック?ペンレコ?いやデータは後でも見られるよね。というわけでロケットのモニター画像を見ていると、暗いドーム内が打ち上げの瞬間ぱあっと明るくなり、ロケットは一瞬でいなくなってしまった。やや遅れて、ずずーんと轟音が響いてきた。(写真5。映像記録係提供)
fig4 (写真4)
fig5 (写真5)

その後は、ペンレコとクイックルック画面をかわるがわる見て、磁力計のデータをモニターしていた(写真6、写真7。映像記録係提供)。実は今回、ずっと気になっていたことが一つあった。磁力計の測定レンジはだいたい±60000nTになるように調整してある。2nT以上の分解能は欲しかったので、これ以上レンジを広げたくなかった。日本付近の地上磁場強度は46000nTくらいだから、このレンジ内に十分おさまるはずである。しかし実際には、ロケットは磁気のコントロールを衛星ほどには厳密にしていないので、ロケットが出す磁場が重畳(バイアス)してしまう。頭胴部の磁気バイアスは相模原での噛み合わせ試験で測ってあるが、モーター部の出す磁場は、打ち上げてみるまでわからない。電波試験(リハーサル)の時には確かにレンジ内におさまっていた。しかしこれはロケットによるバイアスとランチャによるバイアスの足し算である。もし両者が共にとても大きくて、しかもたまたまキャンセルしあっていたら、ロケットによるバイアスだけでは大きすぎて測れないかもしれない。打ち上げたとたんに出力はサチって(飽和して)しまうかもしれない。
fig6 (写真6)
fig7 (写真7)

だから、打ち上げた瞬間、がくん、とレベルは変化したものの、3成分ともレンジ内におさまっているのを見て、ほっとした。スピン面内の2成分が、ゆるやかに正弦波を描いていく。ロケットが機軸周りにスピンしているのである。その周期はだんだん短くなっていき(つまりスピン周期が短くなって)とうとう1秒間に2回転くらいするようになった。打上から約1分、今度はスピン周期が急に遅くなった。ヨーヨーが展開したらしい。

打上から約5分後、チャフ(中性の風を測定するための、薄くて小さいアルミ箔)が放出されると、ロケットの飛翔も残りわずかだ。その30秒後、これまでほぼ一定だったスピン軸方向の成分が変化を始めた。最初は10秒くらいでゆっくりと増減していたが、そのうちに周期が短くなってきた。ロケットがみそすり運動を始めたのである。そして突然磁場の波形はめちゃくちゃになり、とうとう無信号となった。

番外編

宿(潮騒荘)のお昼に食べた”伊勢海老パスタ” 写真8
fig8 (写真8)

実験場に貼ってあったお昼のメニュー(英語版) 写真9
fig9 (写真9)