月周回衛星「かぐや(SELENE)」

SELENEが目指すかぐや姫の正体

saito_at_D 齋藤義文 (SAITO, Yoshifumi)

写真: クリーンルームにて作業中の齋藤先生

月周回衛星「かぐや(SELENE)の概要

「かぐや(セレーネ)」は2007年秋にH-IIAロケットによって打ち上げられた、日本初の大型月探査衛星です。「かぐや」は月表面の元素組成、鉱物組成、地形、表面付近の地下構造、磁気異常、重力場の観測を全域にわたって行っています。これらの観測によって、総合的に月の起源・進化の解明に迫っています。同時に周回衛星に搭載された観測機器で、プラズマ、電磁場、高エネルギー粒子など月周辺の環境計測を行っています(図2参照)。これら計測データは、科学的に高い価値を持つと同時に、将来月の利用の可能性を調査するためにも重要な情報となります。かぐやに搭載されている観測機器のなかで、私達のチームはプラズマ観測装置を担当しています。

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図1 観測時のイメージ図。
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図2「かぐや」は月の上空役100キロメートルを回る主衛星と、ふたつの小衛星(リレー衛星・VRAD衛星)からなりたっています



プラズマ観測装置PACE

概要

プラズマ観測装置PACE(Plasma energy Angle and Composition Experiment)は、月の周りの電子を計測する電子分析器2台(ESA-S1とESA-S2)、太陽風イオンを計測するイオン分析器1台(IEA-S)そして月周辺のイオンを計測するイオン質量分析器1台(IMA-S)で構成されています。電子やイオンのエネルギー、密度、速度、温度、質量等を測定する事ができます。PACEの各センサーは静電分析器と呼ばれるもので、センサー内部にある球殻状の電極間に電圧をかけることで、測定する電子、イオンのエネルギーを選別します。広い視野を確保するため、入り口には視野方向選択電極があります。IEA-S, IMA-Sには電気的に感度を変える機能があり、更にIMA-Sにはイオンの質量を測定する為の質量分析器が取り付けられています。

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図3 D棟クリーンルームにて左:ESA-S 中央:IEA-S 右:IMA-S


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図4 左:ESA-S 中央:IEA-S 右:IMA-S

PACEで目指すサイエンス(月周辺編)

★月表面磁気異常分布の解明

月表面にはいくつもの磁気異常(異常に大きな磁場)が分布しています。PACEは「かぐや(セレーネ)」に搭載されている月磁場観測装置(LMAG:Lunar MAGnetometer)と協同して電子のピッチ角分布を測定する事で、月面磁気異常の分布を明らかにします。LMAGによる月周辺磁場の観測と併せて、これらの観測により磁気異常の成因および40億年前の月磁場存在の有無に関する研究が大きく進むと期待されます。

★月表面のアルカリ物質分布の解明

地上からの光学観測によって月の希薄な大気にはナトリウム、カリウムなどの元素がかなりの量で含まれていることが明らかとなってきました。これらの希薄大気は月表面を起源とするものと考えられていますがその成因はまだよくわかっていません。PACEは世界に先駆けて月周辺空間でイオンの高質量分解能計測を行うことでこれらの成因を明らかにすると同時に、起源となっている月表面のナトリウム、カリウムなどのアルカリ物質の分布を調べます。

PACEで目指すサイエンス(磁気圏編)

★月周辺プラズマ環境の解明

月周辺の宇宙空間は、地球周辺の宇宙空間と大きく異なっています。地球には固有の磁場があるため、周囲には磁気圏が形成され太陽風が地表に衝突することはありません。一方月には固有の磁場が無いため太陽風は直接月表面に衝突して吸収されてしまい、その結果磁気圏は形成されません。このように地球とは異なる環境を調べる事で、宇宙空間における様々な環境下におけるプラズマの振る舞いを理解することが可能になります。

★月-地球磁気圏相互作用の解明

地球の周囲を回っている月は1ヶ月に1度、数日間、地球磁気圏の中に入りますが、これまでの磁気圏探査衛星で得られた月軌道付近の地球磁気圏の観測データはそれほど多くはありません。地球磁気圏には、様々なプラズマの流れがありますが、月がその流れをせき止めることによってどのような変化が生じるか、PACEの観測によって明らかにできるかもしれません。

PACE開発の歴史的位置づけ

我々の研究室ではこれまで、観測ロケット、人工衛星搭載用の低エネルギー粒子計測装置の開発を行ってきました。これらには、「あけぼの」「ジオテイル」などの、現在も宇宙空間で観測を続けている衛星に搭載されているLEPと呼ばれる観測装置があります

KAGUYAに今回搭載したPACEはこれらの観測装置、そしてそれ以前の衛星や多くの観測ロケットに搭載された低エネルギー粒子計測装置の開発を通して培われて来た技術の上に成り立っています。もちろん、今回我々の研究室としては初めて取り入れた技術も多々あります。TOF(Time Of Flight 時間計測)方式による高質量分解能質量分析、3軸姿勢制御衛星にセンサーを搭載するための視野方向掃引、電気的なセンサーの感度変更やそれらを実現するための様々な技術です。

これらの技術開発から派生した技術は、2000年にノルウェーのスバルバード島から打ち上げた観測ロケットSS520-2号機や、2005年に打ち上がった「れいめい」衛星に搭載した高時間分解能低エネルギー粒子計測装置にも使用されています。現在、我々は5年から10年先の衛星ミッションあるいは、もう少し近い将来の観測ロケット実験に向けて新たな観測装置の開発も進めています。これらには、水星磁気圏の探査を行うBepiColombo/MMO衛星、地球内部磁気圏の観測を行うERG衛星、地球磁気圏を編隊飛行衛星群で観測するSCOPE衛星などに搭載する粒子系観測装置があります。

これら将来ミッション用の観測装置にはPACEの開発を通して我々が身につけた技術も随所に使われる予定です。

PACEの開発から完成までの苦難の道のり

KAGUYAに観測装置PACEを搭載することが決まったのは今から約10年前のことです。それからPACEが完成するまでのこの10年の間には多くの学生さんや研究者そしてメーカの方々がPACEの開発に携わってくれました。もちろん私自身も研究者としての殆どの時間をPACEセンサーの開発・搭載実現に費やしました。今更ながら衛星搭載用観測装置の開発は決して一人で出来る事では無いと実感しています。

PACEは非常に手のかかる観測装置でした。多くの磁気圏探査衛星はスピン衛星ですが、スピン衛星に搭載する同種の観測装置に比べて、3軸姿勢制御衛星であるKAGUYAに搭載する低エネルギー粒子の観測装置は観測視野を十分に確保するために構造的に複雑にならざるを得ません。しかも、質量分析器にはこれまで我々が宇宙空間では使用した事の無い±15kVという超高圧を使用します。この±15kVの超高圧を小型の観測装置の中で使いこなすのには非常に苦労しました。

ビデオカメラで真空チャンバーの中に置いた観測装置を撮影し、それを再生しながら一つ一つ放電の原因を取り除いて行った日々を忘れる事はできません。PACEの衛星搭載準備が終りかけていた頃、使用していた高圧電源に問題が発生しました。これが発生した時の精神的な打撃はそれまで経験したことがない程大きなものでした。多くの方のお陰で何とかこれも乗り切る事が出来て、現在PACEはKAGUYAに載って打ち上げを待っています。

手のかかる観測装置は有る意味で自分の子供のようなものです。PACEが誕生するまでにはまだまだいくつものハードルを越えて行く必要があります。KAGUYAの打ち上げ、月周回軌道への投入、PACEへの電源、高圧投入。親の一人としてはこれらの間は気の休まる暇がありません。そして、無事生まれたPACEの存在が真に意味のあるものになるために、最も重要なのは科学的な成果です。

PACEが無事誕生した暁にはPACEを最大限に活かすよう努力したいと思います。 この10年のPACEの開発を通して我々は技術的に確実に前進することができました。規模の大きいミッションに携わることは、様々な新しい技術を手に入れることにつながります。これらは、我々の将来に色々な形で活かされる事になると信じています。

大学院生・学部生へ

PACEチームからのメッセージ

★月周回100kmで低エネルギーのイオンを測定するのはKAGUYAが世界で初めて です。皆さんも一緒に世界中の誰も見た事の無いデータに触れてみませんか。
(齋藤義文 准教授)

★次々に降りてくる観測データを使って、沢山の論文を書いて下さい。
(横田勝一郎 助教)

★一つの宇宙プロジェクトに学生という立場で、深く関わるという機会は、たとえ宇宙開発関連の研究を行っている研究室においても、そうあることではありません。プロジェクトに参加する事は、自身の研究開発対象と同様に、宇宙機(スペースクラフト)に関する一般的な知識を習得することにも繋がり、宇宙開発の現場をつぶさ に見るチャンスでもあります。自身の研究対象の一部というだけでなく、”宇宙開発の現場”そのものにも興味を抱いているような人は、ぜひ宇宙プラズマ研究系で一緒に観測機器の開発を行いましょう!
(田中孝明 博士課程学生)

齋藤研で取り組める研究課題

★PACEの観測データを使って取り組める研究課題
(詳細は「PACEで目指すサイエンス」をご参照下さい)

などアイデア次第で無数

★KAGUYA/PACEに関係なく、齋藤研(機器開発)でできる開発案件

(執筆: 齋藤義文, 編集: 関克隆)