最新研究成果
水星ナトリウム大気の生成散逸過程
亀田 真吾 / 研究員
水星は非常に希薄な大気(10-12気圧)を持ち, その大気成分として水素・ヘリウム・酸素・ナトリウム・カリウム・カルシウム原子が光学観測によって検出されている. この中で特にナトリウム大気光は最も多く観測がなされてきており, ナトリウム密度分布の南北非対称性, 高緯度域の濃集, 1地球日ごとの密度分布の時間変化が捉えられてきている.
過去の研究により水星大気は太陽光による光・熱脱離, 太陽風イオンによるスパッタリング, 微小隕石衝突による気化などの物理過程により地表面から放出された後, 地表面に衝突し吸着するか, 太陽紫外線によって電離して散逸すると考えられている. 放出過程を模擬した実験結果からは光脱離による放出量が最も大きいと考えられ, この場合太陽直下点での放出量が最も大きくなるはずである. しかし, これまでに観測された高緯度域での濃集や密度分布の変動は主に太陽風イオンスパッタリングによって引き起こされると考えられており, ナトリウム大気放出メカニズムはまだ解明されていない.
この原因の1つとして観測時間が制限されていることが挙げられる. 水星は太陽に最も近い惑星であり, 観測時間は日の出前, 日没後の30分程度であった. このため1日以下の密度分布の時間変動は観測されていない. 一方, 太陽風の密度, 速度は1時間で20%程度変化するため, 太陽風スパッタリングによる放出量が支配的であるならば1日以下の時間間隔で継続的に観測を行なうことで大気密度の変動が捉えられるはずである.
この現象を捉えるためには日中に水星大気光の観測を行なうことが必要である. 私は2005年12月に岡山天体物理観測所で日中に水星大気光観測を行なった. 日中観測の主な欠点は地球大気による背景光の増加である. この対策として追尾光学系に赤色フィルタを設置し青色の地球大気光を低下させ, 背景光に対する水星地表光の相対強度を上げることで追尾を行なった.
本観測では水星大気光と水星地表反射光に加え地球大気の散乱光を合計したスペクトルが得られた. まず地球大気の散乱光を除去するため水星と地球大気光のスペクトルを交互に取得しその差を取り, 次に地表反射光スペクトルの計算を行なった. 水星太陽間, 水星地球間の相対速度によるドップラーシフトを考慮し太陽スペクトルを波長方向に移動させ, 観測された水星地表反射光強度と最小二乗法を用いて合わせた. この反射光スペクトルを除去することでNaD線の大気光強度が得られた(図1).
図1: 観測された水星のスペクトル. 背景光, 地表反射光の順に除去しナトリウム大気光の強度を求めた[Kameda et al., in press].
本観測では最大で6時間継続して追尾を行ない水星大気密度の時間変化を観測することが出来た. しかしこの間にシーイング(地球大気による像の広がり)の変化があり, 水星大気の変動を調べるためにはこの影響を取り除く必要があった(図2). このため, まず点像関数の評価を行なった. この際, 水星地表反射光とHapke(1984)による反射光モデルを用いた. この際点像関数が2つのガウス分布の合成で表せると仮定し最小二乗法を用いた. 実際の大気光分布とこの点像関数の畳み込み積分の結果が観測された大気光分布となるため, 反復法を用いてシーイングの影響を受ける前の大気光分布を求めた(図3). また, 大気光強度の絶対値較正は地表反射光の観測値とHapkeモデルを用いて行なった.
図2: (左)観測されたナトリウム大気光分布(右)地表反射光時間とともにシーイングが変わり強度分布が変化した.
図3: 青線は観測された大気光分布, 黒線はシーイングによって広がる前の大気光分布の計算値を表す. 点像関数と大気光分布を畳み込み積分した結果(赤線)が観測された大気光分布に一致するように大気光分布を算出した.
観測は12月5日, 14-16日の4日間行なった. それぞれ観測時間はそれぞれ6, 1,5, 2時間であった. この間観測された密度変動は5%であり(図4), また南北のナトリウム密度比も1±0.07の範囲に収まっていた. これらの結果は過去の観測例とは異なり太陽風スパッタリングによる放出量が全放出量に対して小さいことを示唆している.
12月5日と14日の間には密度が減少しているが, 水星太陽間の距離が1.2倍増加し太陽光フラックスが減少したこと, 地表温度が低下し熱脱離による放出量が低下したことが考えられる(図4).
図4: 観測されたナトリウム密度の時間変動(○)と光脱離による放出量の計算値(黒線) [Kameda et al., in press].
太陽風フラックスの変動と観測された密度変動の関係を求めるためにACE衛星で観測された太陽風密度, 速度のデータを用いた. 太陽風の平均速度は毎秒400 kmであり水星太陽距離が0.3-0.4 AUであることからACE衛星で観測された太陽風は水星より約3日遅れで到達している. このことを考慮して大気密度変動と太陽風フラックス変動の比較を行なったが太陽風変動に伴うような大気密度の変動は得られていない(図5).
観測時には水星-太陽-地球角が大きく, ACE衛星で観測された太陽風フラックスは必ずしも水星近傍の太陽風フラックスと等しくはない. このため本観測期間中太陽風が非常に静穏であった可能性がある. 水星近傍での太陽風フラックスは計測されていないため, ACE衛星のデータからこの期間の太陽風フラックスの変動を調べた.
図5: 各観測日の密度の時間変動と太陽風フラックスの変動. ○:ナトリウム密度 黒線: 太陽風フラックス.
図6は観測期間前後における太陽風フラックスの連続した6時間の最大値、最小値の比の時間変化を示している. 観測期間中の70%において太陽風フラックスの最大値最小値比は1.4以上となっており, 一方でナトリウム密度の最大値最小値比は1.2であるため太陽風スパッタリングの全放出量変化への寄与は50%程度以下であると推測される.
図6: 各11月20日から12月31日における太陽風フラックスの連続した6時間の最大値最小値比.
以上をまとめると, 本観測では過去に観測された大きな密度分布の変動は観測されず, 太陽風イオンスパッタリングが水星大気放出過程において支配的であるという説に対しては否定的な結果が得られた.
図7: 2006年6月14日に得られたナトリウム密度分布.
本観測により反太陽方向にのみナトリウム大気が伸びていることが初めて確認された。
得られたナトリウム密度分布から大気散逸の時定数を見積もった。中性ナトリウムは主に太陽光による電離によって失われると考えられており、過去の研究において見積もられた時定数は9.1 × 103秒(Carlson et al., 1975)から2.8 × 104秒(Cremonese et al., 2005)まで3倍程度の差があり、Potte et al. (2002)では2.4 × 103秒と見積もられている。本研究ではナトリウム大気尾部密度の1/e距離から光電離の時定数を見積もった。図8は南北方向に積分した太陽-反太陽方向のナトリウム線密度分布を示す。水星中心から10,000 km離れた地点では水星重力は太陽放射圧の20%以下となり1/e距離が一定値に近付いて行く。10,000 kmから30,000 kmにおける1/e距離は5.0 × 104 kmであった。
図8: 太陽-反太陽方向の密度分布. 黒線は水星中心から10,000km以遠の密度分布に対し最小二乗法によってフィッティングを行なった結果を示している.
光脱離の時定数を求めるためには1/e距離に加え、ナトリウムの平均速度を知る必要がある。ナトリウム平均速度(v)は以下の式を用いて求めた。
,
ここでdは水星中心からの距離、aは太陽放射による加速度, d0は10,000 km, v0は10,000 kmの地点での反太陽方向速度, tは10,000 kmの地点からd kmの地点までにかかる時間を表す。d=20,000 kmの時、v0が0 km/s であるとするとvは4.7 km/s となり、これが下限値となる。またPotter et al. (2002)の結果から10,000 kmの地点での速度は2 km/s以下であり、v0を2 km/s とするとvの上限値は5.1 km/sとなる。これらの結果から光脱離の時定数は9-11 × 104 秒と見積もられる。この値はHuebner et al. (1992)によって見積もられた理論値を範囲内に含んでいる。
■ まとめ
本研究ではナトリウム大気密度の時間変動を6時間継続的に観測した。観測期間中の太陽風フラックスは2倍程度以上まで変化していたと考えられるのに対し観測された密度変化は+20%程度であったため、地表からのナトリウム放出過程において太陽風の寄与は20%以下であると考えられる。また12月5日から 12月13-15日に観測された密度変化は光脱離の放出量の変化と一致しており、光脱離が主要な放出過程であることを示唆している。
また本研究ではナトリウム大気散逸の時定数を、反太陽方向に伸びた分布を観測することによって見積もった。結果としてHuebner et al., (1992)によって見積もられた理論値と一致する結果が得られた。
■ 参考文献
○ Kameda, S., Yoshikawa, I., Ono, J., Nozawa, H., in press. Time variation in exospheric sodium density on Mercury, Planet. Space Sci.
○ Hapke, B., 1984. Bidirectional reflectance spectroscopy, 3, Correction for macroscopic roughness. Icarus 59, 41-59.
○ Huebner, W. F., Keady, J. J., Lyon, S. P., 1992. Solar photo rates for planetary atmospheres and atmospheric pollutants. Astrophys. Space Sci. 195, 1-294.